2009年12月28日月曜日

放送研究会の内輪

昨日はサークルの後輩のイベントを見に行った。

「14時間LIVE」てやつ。僕らの代が「10時間テレビ」っていうイベントをやったけど、中身はほとんどそれと一緒。要するに24時間テレビの縮小版である。

放送研究会というサークルはどこの大学にもあって、だいたい春と冬に「番組発表会」なるイベントを行う。ウチの場合はちょっと変わってて、自分の代からイベントを「番組発表会」と呼ばなくなった。
理由は他大の放研さんのようないわゆる「番組」と呼ばれる映像作品の「発表会」じゃなくなってきたから。僕たちはダンスとかパントマイムとかパフォーマンス系のサークルを招いて演出を施したり、美術サークルの作品作りの模様を別スタジオで中継したり、といったイベント要素が強い。だから番組発表会より純粋にイベントと呼んだほうがいいんじゃないか?という声が上がって以来、番組発表会という用語はウチの放研から消え去った。
個人的には映像制作が好きだから、番組を作ってそれを流してお客さんに見てもらうというシンプルな番組発表会って形式は好きなんだけどね。

学生のイベントで純粋なお客さんを呼ぶのは難しい。どうしても客層はイベントに関わった関係者とか同業者(他大の放研さん)になる。
番組発表会は形式上「内輪」になりやすい因子をもっている。学生が作る映像作品は面白さを追求すればするほど内輪ネタに走りがちだし、客層は放研人で溢れかえる。内輪が悪いとか言っているわけじゃない。僕は内輪が大好きだ。ただ、どうせイベントをやるなら純粋なお客さん呼んで目一杯楽しませて「放研てスゲーな」と思われたい。そう思ってる輩がウチのサークルには多いから必然的にイベントは外向けになっていった。
そういうわけでウチの放研は他大の放研さんから異端児扱いされている(笑)

そんな外向けなイベントを行うようになったウチでも、イベント終了後に会場にサークル員だけ集めて内輪な企画がある。
ウチらの間ではその企画を「セレモニー」と呼んでいる。ここではイベントを運営してきた各部署のチーフ陣がステージ上で挨拶をし、先代のチーフ陣からプレゼントを受け取る。そして最後に準備風景や会議の様子を映像編集して感動的なものに仕上げたエンドクレジットをみんなで見る伝統がある(このエンドクレジットは大エンディングと呼んでいる)
僕はこのセレモニーがとても好きで素敵な伝統だなぁと思う。壇上で後輩が涙ぐむ姿は見ていて本当に微笑ましい。

学生のサークル活動は大部分が自己満だ。
青春な学生生活を満喫したいため、友達を作りたいため、自己成長のため…。ベクトルはすべて自分に向いている。
放送研究会も例外じゃない。サークル員はセレモニーのためにイベントを頑張ってきたといっていい。「感動」とか、何かを成し遂げた「達成感」とか、仲間の「友情」とか、そういう不確かなもののためにがむしゃらに、ひたむきに、そして自由に自分のために突っ走っていけるのは学生のうちだけだ。

結局のところ、ウチも外向けといいつつ内輪なことをやっているワケ。

久しぶりに学生会館に行ったけど、久しぶりに放送研究会というサークルが誇らしく思えました。
後輩のみんな、おつかれさま!そしてありがとう。

2009年12月10日木曜日

第1回ウェブ学会シンポジウム



ついこの前、第1回ウェブ学会シンポジウムに参加してきた。

Twitterである人がイベント告知の書き込みをしているのを見てなんとなく面白そうだなと思ったのがきっかけ。
申し込み〆切が直前で、参加登録したの実は自分がラストだった(気づいたのあとあとになってからなんだけど)。会場1200席で自分の受付番号1200番…。最後の1席をどこぞの学生がかすめ取ってしまったっていう(笑)

学会は東京大学の安田講堂で行われた。
学会なんてものに行くのは今回が初。こんな一学生が一席確保していいのかちょっと不安だったけど、会場内は若者が多くて安心した。
よく見渡すと若者の他に年配の人もかなり多い。研究者っぽいカチっとしたスーツを着込んでいる人もいれば僕みたいに私服を着てる人もいる。年齢も服装も職業もぐちゃぐちゃ。だけどみんなケータイとかPCを開いてTwitterをやっている。
バラバラだけど一つに繋がっている。まさにネットの特徴を可視化したような会場だった。

壇上でいろいろな人が講演している最中も、みんなそれを聞きつつ、Twitterに書き込みをし、他の人の書き込みを読み、必要とあらばネットで調べる。「講演者→自分」という普通の形が「講演者→自分⇔ネット」になって講演中に自分に入ってくる情報量がすさまじく多い。Twitterも流れについていかないとどんどんタイムラインが過ぎてゆく。とても疲れるけど、みんなの意見をリアルタイムで知れてその場でいろんな解釈ができる。
講演中、参加者は静かに話を聞いているようで、ネット上ではものすごく騒がしい議論を繰り広げているのがとても面白かった。


講演内容に関しては「集合知」というキーワードが目を引いた。
集合知とはたくさんの人が集まって生まれる一つの意見なり情報のこと。いろんな講演者がいて切り口もそれぞれだったんだけど、共通してこの集合知に関することが触れられていたように思う。

特に東浩紀氏や津田大介氏など4人で繰り広げられた討論は面白かった。Twitterの書き込みが一番多かったのもこのときだった。
テーマは「民主主義はネットの技術を使って変わっていくのか?」というもの。民主主義って人々の意思を集めて政府を選ぶ、というスタイルをとっているけど、いまの選挙のやり方で国民の意思はちゃんと集められてるの?Webの技術を使って人々の意思を吸い上げることってできるんじゃないの?という切り口である。
個人的に興味深く思ったのが東さんの「民主主義2.0」と濱野智史さんの「キャラクラシー」の話だった。

東さんはルソーの社会契約論でもって人々の意思の集まり(集合知)を「全体意思」と「一般意思」の二つに分けて解釈していた。話がかなり難解だったので自分なりに要約(【】内)してみた。


【人民の意思が集まったものは「全体意思」で「一般意思」は世論の努力目標だから、全体意思と一般意思は違う。ルソーは一般意思が政府を選ぶと考えていたから、今まで人々の意思を集合させるために討議や投票という形をとってきたけど、これって全体意思を生成しているだけで本当の民主主義にはなってないんじゃね?全体意思とは別に一般意思というものが存在し、それが政府を選ぶのだとすれば僕らは一般意思を顕在化させなくちゃいけない、もしかしたらWebの技術がその顕在化を実現してくれるかも。】


新しい技術が人々の意思を顕在化させ、政治に応用できるのでは?という結論部分はごく普通のことだけど、そこに辿り着くまでが思想家らしいユニークで面白い解釈だなと思った。
中でも討論の中で出てきた「GoogleとTwitterが世に出てきたとき世界はルソー化した」というフレーズは一番耳に残ったし、引用した書き込みも多かった(笑)

濱野さんの「キャラクラシー」はWebの技術を使った新しい政治スタイルを具体的に提案したもの。キャラクラシーっていうのは「キャラクター民主主義」から作った造語で、要するに初音ミクに出馬してもらおうという話(笑)
初音ミクはネット上の無数のクリエイターたちの手によって、数多くの作品が派生・創造されてきたバーチャルアイドル(知らん人は検索するべし)だが、多彩な才能を有した人々が初音ミクを介して集合的、恊働的活動をしているのであればこれを政治に置き換えてもいいのではないかという発想である。
「日本人はなんか参加したいけど自分という個体を出したくない。匿名的な存在であり続けたいカルチャーがある」と言っていた。うーむ、日本独自の政治参加の在り方としてキャラクラシーは案外いけるかも?笑

津田さんは終始Twitterの話で、他の人たちの土俵に足を踏み入れてない印象だったな。討論だからもうちょい突っ込んでもよかったのに、無難なスピーチでちょっと残念だった。


最後までいなかったけど、とても楽しいイベントだった。次回があるならまた行ってみたいと思う。

2009年12月2日水曜日

矢吹にて

昨日は父方の祖母の誕生日会だった。

高井戸の天ぷら「矢吹」へ。ここのご主人はいつもニコニコしながら天ぷらを揚げている。どことなく雰囲気が亡くなった母方の祖父に似てる気がしてなんか好きだ。やさしい顔をしたおじいちゃんっていいよね。癒される。

家族全員で集まって外食に行くのも最近じゃめずらしいかも。

祖母は今月6日で84歳になる。
老人ホームに入ってるけど、全然ボケてないし車イスも使わずに自分でちゃんと歩く。記憶力にいたっては自分よりいいかも(笑)まぁビックリするくらいいろんなこと知ってるし覚えている。
体力は衰えてるけど意識がはっきりしてるから老人ホームは退屈なのかもなー

カウンターで祖父と席が隣だったこともあって久しぶりに日本酒をたくさん飲んだ。祖父はとんでもない酒豪で年寄りのくせに若者よりもハイペースで酒を飲む。この遺伝子は親父から弟へと流れていった気がする。自分はそんなにアルコールを飲まないから。
それでも昨日は久しぶりに祖父に付き合ってけっこー日本酒を飲んだ。祖父は常温が好きらしいけど、僕はやっぱり熱燗のほうが好きだな。
酔いのテンションもあってベトナムに行った話とかGATSBYの学生CM大賞に受賞したこととかいろいろ近況を喋った。

祖父も祖母もまだボケてないから話が通じるだけ幸せだなと思う。

楽しい会だった。またみんなで同じように食事したいね。誕生日おめでとう!